🌀これはギャグじゃなくて、概念の再起動だ!
こんにちは、もちおです。
今回はアニメ『ポプテピピック』について語らせてください。いやもう、笑いすぎて腹筋が迷子になった。もちもちの脳が、ギャグと哲学の狭間でぐるんぐるんしてます。
この作品、ただのギャグアニメだと思って観ると、脳がバグります。ポプ子とピピ美という謎の14歳コンビが、毎回違う声優で登場して、メタギャグをぶちかまし、視聴者の常識を粉砕してくる。もちお、最初は「なんだこれ…」って思ったけど、気づいたら沼ってた。
🧠ギャグ×メタ×カオス=意味の再構築
ポプテピピックのすごいところは、「意味がないこと」に全力を注いでるところ。
同じシーンを2回流すとか、声優を男女で変えるとか、急に別作品が始まるとか…もう何でもアリ。普通なら「手抜き?」って思う演出も、ポプテピピックだと「それが狙い」になる。
もちお的には、これは“ギャグの再定義”だと思ってる。
笑いって、意味があるから起きるんじゃなくて、「意味が崩れた瞬間」に生まれるものなんだよね。ポプテピピックは、その“崩れ”を意図的に作ってる。だから、笑いながらも「これって何なんだ…」って考えさせられる。
💥竹書房爆破とフェイク作品:メディアへの挑戦状
ポプテピピックの伝説的な回といえば、出版社・竹書房の社屋を爆破するシーン。
もちお、あれ観たとき「え、これ放送していいの?」って思った。でもそれがポプテピピック。メディアの構造や、作品の“枠”そのものにツッコミを入れてくる。
あと、フェイク作品『星色ガールドロップ』を本物の新連載として発表したのも衝撃だった。もちお、普通に騙されたよ。あれはもう、ギャグというより“メディアアート”だったと思う。
🌀ポプテピピックは、もちおの創作魂を刺激する
もちおは普段、ブログやキャラクター制作をしてるけど、ポプテピピックを観てると「もっと自由でいいんだ」って思える。
「こうあるべき」っていう型に縛られすぎると、創作ってつまらなくなる。でもポプテピピックは、「型なんてぶっ壊せばいいじゃん」って教えてくれる。
もちお的には、これは“魂の再起動”なんだよね。
意味を求めすぎると、創作も人生も窮屈になる。ポプテピピックは、「意味がなくても、面白ければそれでいい」っていう、ある種の救いをくれる。
🧸家族と観るには…ちょっと注意。でも笑いは共有できる
正直、ポプテピピックは家族で観るには過激な部分もある。もちおも、子どもと一緒に観るにはちょっと躊躇した。でも、ギャグって本来、世代を超えて共有できるもの。
例えば、子どもの予測不能な行動とか、思わず笑っちゃう言い間違いとか。
それって、ポプテピピック的な“ナンセンス”なんだよね。もちおは、そういう日常の中のギャグを大事にしたいと思ってる。
📺まとめ:もちお的評価と余韻
もちお的には、ポプテピピックは星5つ中、もちもち∞(無限)!
笑いながら哲学できるアニメって、なかなかない。しかも、観るたびに新しい発見がある。声優の演技も毎回違って、何度でも楽しめる。
そして今、もちおはポプ子とピピ美ロス。彼女たちの“意味のない暴走”が、もちおの創作魂を再起動してくれました。
次回は、ポプテピピックに登場する“フェイク作品”について深掘りしてみようかな。あれ、全部観ると意外と泣けるんだよね…。
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